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2019年9月13日金曜日

散りばめられた名文

おうい下人や。何か茶菓子でも買って来ておくれ。

てなわけで長々と私の話に参りますが、端的に言えば恥の多い生涯を送ってきました。

具体的には幼い頃から、美女の肌に刺青を彫りたいなどといった、特殊な想いを持っておったわけです。
私が人生で最初にぶつかった難問は、美ということだったと言っても過言ではないのでしょう。でなければ思いやしませんそんなこと。

どのような刺青かって?
このようなものです、ご覧ください。

「それは川かい?」
「いや、乳の流れたあとじゃねぇか?」

ではみなさんは、そういうふうに川だと云いわれたり、乳の流れたあとだと云われたりしていたこのぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか?
正解は刺青です。

「いや、何の刺青かって話じゃないんかい」

それは冗談として。
私がそのような忸怩たる思いを背負う原因となったエピソードを一つ。

私には昔から確信していることがありまして。それは桜の樹の下には屍体が埋まっているはずだということなんです。でなければあんな美しい桜が咲くわけが無いでしょう。
それを検証しにわざわざ新潟まで行ったことがあります。
しかし桜目当てに旅立ったのはあろうことか師走。ちょいと気が早かった。
桜どころか、国境の長いトンネルを抜けると雪国であったわけです。

仕方ないから私の大好物である山椒魚を買いましたよ。ヤケになって大量に買いましたよ。さぞ山椒魚は悲しんだでしょうね。

え?山椒魚は食用の魚じゃないって?だから、吾輩は猫であるって何度言ったらわかるんですか。魚だったらなんでもいい。猫、猫なんですよ。にゃあ。

おや、下人が帰ってこねぇなぁ。
おい下人は?下人は何処に行ったんだい?


- 下人の行方は誰も知らない -


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~ 様々な文豪・小説へのリスペクトを込めて ~

2019年1月16日水曜日

「せいを」の詩

これは、「せいを」の詩です。

え?「○○を」という詩人が居る?そのパクリだって?

まぁそうともとれるかもしれません。そう受け取っても結構です。

それは詩に於いても同じ。皆さんが受け取るように詩は形を変えます。

というわけで、詩。



言葉

あなたが今使った、その言葉

はじめて使った時を思い出してみてください


その時はもっと、不安や興奮とともに発したはずなんです


もっと愛着をもって言葉を発してみてください

そうすれば自然と、発する言葉自体も、新鮮で美しいものになるはずだから



あの人

私はただ

あの人がまとう光を

反射しているだけなのです


誰だって

他人は光を纏っているように見えるし

自分はその光を反射しているだけのように感じるのです




泪というのは、不思議なもので

どのように考えても理由付けが出来ないような場面で

一つ零れたと思ったら、その姿が不可算になったりする


ところが、ここは是非顔を出して欲しいってときに限って

涙腺の奥底で眠ってるんだ



自我

不意に自我の塊がうまれた

自我の塊は他者の模倣によって自我を隠そうとした

けれど結局自我を持つまま死んだ

自我が故に死んだ



この本

この本を何も考えずに人前で読むことができた自分が

同じ本を人前で読めない時期を通り越して

今貴方に読んでいます



幸せの際限

テレビの画面の画素数が

目の画素数に 近づくほど


後ろ歩きで向かっていく

幸せの際限という名の崖に



他人

他人だって

親戚みたいなもんだよ

人間だもの


       せいを




以上です。

ではまた('◇')ゞ